ビヨルク
スウェーデンからもどってきて、もう3ヶ月が経った。薄れていく記憶が消えてしまわないうちに、どうしても白樺(ビヨルク)について書いておかなければならない。
1年間滞在したエーランド島ヴィックルビー村の家の前には、テニスコートくらいの大きさの広場があって、そこに1本のビヨルクの木が生えていた。10年ほど前に、クルドサックの小さな住宅地街路のシンボルツリーとして植えられたものだ。
春の芽吹きの季節、白樺は軽やかなに枝を揺らす。夏の明るい夜には、風に吹かれた葉っぱがざわざわと音をたてる。秋には夏を惜しむかのように、小さな黄色い葉がどの木よりも遅くまで枝に残っていた。暗い冬の夜、雪の中に浮かぶ白い幹の後ろにはトムテが隠れているようだった。毎日、僕はそのビヨルクの木を見て過ごした。
Bjork
北欧を象徴する木は何かと問われれば、僕は真っ先に白樺を思い浮かべる。アルヴァ・アールトデザインのアルテックの一連の家具、イケアの名作ポエング、ブルーノ・マットソンの椅子、マルムステンのウィンザー風の椅子、どれも白樺の家具である。オーロラの見える街キルナで見た、先住民族サーミ人の水を飲むための道具コーサも、ビヨルクのこぶの部分でつくられていた。この木と同じ名前のビヨーク(bjork)の歌は、いつも僕を北へ連れて行ってくれる。
手道具を使わせたらカペラゴーデンで一番上手なエリアスは、ビヨルクが大好きだった。2年生の時につくったキャビネットも、職人試験のキャビネットも迷わずビヨルクを使った。生えている木を見ただけで、その木のラテン名まで言える彼は、北欧で家具に使われる白樺(シルバーバーチ : Betula pendula)は、日本の白樺とは違うものだと教えてくれた。カバノキ属は種類が多く、その中でもBetula Pendulaは葉っぱが下に垂れずに横に伸びる木で、多くがフィンランドからやってくるそうだ。フィンランド・バーチは徹底的に合理化された林業により、計画的に畑の野菜のように生産されている。ビヨルクは磨き上げるとシルバー・バーチの名の如く光り輝く。見る角度によって輝きが変化するので、交互に木目の方向をひっくり返して使うことで、キラキラと光る不思議な効果をつくりだすことができる。エリアスのキャビネットは光って見えた。透き通った白い色は、時間の経過とともに、秋の紅葉の葉色のように黄色く変化する。
陽の光が大好きなこの木が開拓種と呼ばれるのは、山火事などで森林が焼失した後、一番最初に現れる木だからである。成長の早い樺によってひとたび森林が形成されると、陽の光は遮られて数十年で樺は姿を消し、ブナやナラなどの陰樹が優勢となる。 樹皮には油成分が多く含まれているのでよく燃える。松明の炎はこの樹皮を燃やしたものだ。樺燭の典とは結婚式を意味し、樺燭は松明を意味する。
僕は白樺から、若さ、光、明るさ、白さ、優しさを感じる。冬至の夜に見た白樺は、月明かりをその幹に反射させながら、暗闇を照らしていた。
20世紀以前の室内装飾の歴史において、樺が家具の素材として脚光を浴びることはなかったように思う。歴史に記された家具はオークやウォールナット、マホガニーといった高価な木材によってつくられた。それらの家具は宮殿や王室、貴族のためのものだった。一方、白樺は市民のための木であった。決して高価ではなく、どこにでもある普通の木である。北欧といって真っ先にこの市民の木が思い出されるのは、自由、平等、友愛という民主主義の原理を、西欧の社会よりも見事に実践した感のある北欧社会のあり方と無関係ではないと思う。
時間が経つに連れスウェーデンの記憶は少しずつ薄れていくだろう、毎日見ていたあのビヨルクの美しいイメージをいつまでも褪せることなく留めておきたい。